石上神宮七支刀銘

出典:七支刀銘
[表]
 a泰和四年□月十六日、丙午正陽、百練鉄b七支刀を造る。□百兵を辟く。供供たる侯王を宜しくす。□□□□作。
[裏]
 先世以来、未だ此の刀有らず。百済王世子、奇生聖音、故に倭王旨の為めに造り、後世に伝示せむとす。
注釈: a:369年。 b:この両刃の刀を所蔵する石上神宮の祭祀は物部氏が司った。
 

支配領域の拡大1

出典:江田船山古墳出土鉄刀銘
 天の下治めすa獲□□□鹵大王の世、奉□典曹人、名は无□弖、八月中、大ひなる鋳釜と、并せて四尺の廷刀とを用ゐ、八十たび練り、六十たび捃じたる三寸上好の□刀なり。此の刀を服する者は長寿、子孫注々三恩を得る也。其の統ぶる所を失わざらむ。刀を作れる者の名は伊太□、書せる者は張安也。
注釈: a:読みは「ワカタケル」。 ★上記史料は片刃の刀である。
 

支配領域の拡大2

出典:稲荷山古墳出土鉄剣銘
[表]
 a辛亥年七月中記す。乎獲居臣、上祖の名は意冨比垝、其の児多加利足尼、其の児名は弖已加利獲居、其の児名は多加披次獲居、其の児名は多沙鬼獲居、其の児名は半弖比、
[裏]
 其の児名は加差披余、其の児名は乎獲居臣、世々杖刀人の首と為り、奉事し来たり今に至る。b獲加多支鹵大王の寺斯鬼宮に在る時、吾、天下を左治し、此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事せる根原を記す也。
注釈: a:471年か。 b:雄略天皇にあたる。 ★上記史料は両刃の剣である。
 

支配領域の拡大3

出典:隅田八幡神社(宮)人物画像鏡銘
 a癸未年八月日十、大王の年、b男弟王、c意柴沙加宮に在ませし時、斯麻、長寿を念じ、開中費直穢人・今州利二人等を遣わし、白上同二百旱を取り、此竟を作る。
注釈: a・b:癸未年が503年だと仮定すると、男弟王は即位前の継体天皇を指すことになる。 c:読みは「おしさか」。 ★上記史料は鏡の裏面に刻まれている。
 

大和政権の地方支配

出典:『日本書紀』
 a(継体天皇)二十一年夏六月壬辰の朔甲午、近江毛野臣、衆六万を率て、任那に往きて、新羅に破られし南加羅・喙己呑を為復し、興建てて、任那に合わせんとす。是に、筑紫国造磐井、陰に叛逆くことを謨りて、猶預して年を経。……新羅、是を知り、密に貨賂を磐井が所に行りて、勧むらく、毛野臣の軍を防遏へよと。是に、磐井、b火・豊、二つの国に掩ひ拠て、使修職らず。……
 二十二年冬十一月甲寅の朔甲子、大将軍物部麁鹿火、親ら賊の帥磐井と、筑紫の御井郡に交戦ふ。……遂に磐井を斬りて、果して疆場を定む。十二月に、筑紫君葛子、父の罪に坐りて誅せられむことを恐りて、糟屋c屯倉を献りて、死罪贖はんことを求す。
注釈: a:磐井の乱があった527年。 b:九州北部にある。 c:大和政権の直轄地。